沖縄復帰の翌年、空港の滑走路がまだ舗装されておらず、双発のセスナ機?で空港のターミナルもコンクリート打ちっぱなし、TVでは台湾放送がながれ、微かに聞こえる空港無線に沖縄訛りの日本語が聞き取れ、間違いなく与那国島に着いたことを確信しましたが、宿も決めず来たことにやや後悔してた時に声をかけてくれたのが、仲たけ荘との付き合いの始まりでした。 以後10回くらいお世話になりましたが、いつもづっきらぼうではあるものの、細かな気遣いをいただきました。 台湾が時々見えること、リビングに息子さんの撮った写真が飾ってありました。 一時台湾詣でをし、久しぶりに今月末にお邪魔したいと思っていましたが、残念です。目が悪く時々石垣島の病院の帰りに同じ飛行機で帰ったこともありました。床のギシギシいう音、狭い玄関、狭いシャワー室すべてが懐かしく思われます、何より与那国の定宿がなくなったこと、個性的なおばあの声が聞こえないのを寂しく思います。ゆっくりお休みください。 たくさんの楽しい思い出を作る事ができありがとうございました。